Home »  Sports  » 

郷愁の昭和|東京オリンピック

コペンハーゲンで行われたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2016年の夏季オリンピック開催地がブラジルのリオデジャネイロに決定した。半世紀ぶりの東京オリンピックは実現しなかった。

南米初開催を旗印に掲げたリオの勝利が、事前より有力視されてはいたが、東京の敗退理由として、 2008年大会の開催地が同じアジアの北京であったことや、国内での支持不足が挙げられている。とりわけIOC調査による自国開催への国民の支持率が55.5%と、リオやマドリッドに比して30ポイントも低い数字を示していたのは致命的だった。

日本では、1964年(昭和39年)の夏季五輪東京大会以降、1972年と1998年にそれぞれ札幌、長野で冬季五輪が開催されている。「初物」にあらず、加えて現下の経済不況でオリンピックどころではないという庶民感情が、熱気を欠いた要因と思われる。

翻って64年の東京での初開催にこぎつけるまでの道のりは、JOC(日本オリンピック委員会)のウェブサイトに詳しいが、戦後の荒廃から完全に立ち直ったことを内外に示す意味からも、オリンピック招致が今回と違って日本国民の痛切な悲願であったことが窺える。そして競技者だけでなく、その後の日本の青少年や市民のスポーツ振興にも、東京オリンピックが果たした役割が絶大なものであったことが解る。

かつての東京五輪の記憶はかすかなものとなっているが、その頃、世界の国旗を覚え、ほうきをバーベル代わりに、重量挙げのポーズを真似たりした。石原都知事は「青少年の心に夢を与える」ことを招致理由としたが、市川崑が監督・製作した映画『東京オリンピック』を観ると、日本での初めてのオリンピック実現に、青少年のみならず人々が皆夢中になった情景が蘇る。

この映画は 、当時のオリンピック担当国務大臣だった河野一郎が試写で観て、「記録映画になっていない。」と酷評したことでも知られる。映画は一部修正を施したうえで公開されたが、結果的に日本映画史上空前の興行記録を打ち立て、カンヌ映画祭で国際批評家賞を受賞するなど高い評価を得た。市川監督のベスト作品との声もある。

「記録」よりも「描写」に力点を置いた構成で、首都高速道路の建設風景から映画は始まる。望遠レンズを駆使した103台のカメラで、アスリートとともに市井の人々の表情や動作がクローズアップされる。

当時の実況が断片的に入るが、記録映画に不可欠なナレーションは、一部を除いてあまりない。むしろ静寂の横溢が緊張感を醸し出している。マラソンシーンでは、落伍していく選手の姿を執拗に追い、その過酷さを表現する。対照的に、表情を変えずに淡々とゴールするアベベの圧倒的な強さを浮き彫りにしている。もちろん日本人選手の活躍や競技のスリリングさ、醍醐味もあますところなく描出している。東洋の魔女、棒高跳びのハンセンとラインハルトの死闘や男子1万メートルのデッドヒート等々。

しかし何より印象的な場面は、開会式で古関祐而作曲のオリンピックマーチに乗って、白い帽子と赤いブレザーの日本選手団が、満を持して全参加国の最後に入場してくる瞬間。いっせいに立ち上がり、拍手で迎える観衆。整然と誇らしげに行進する選手たち。今見ても、胸が熱くなる。この日、東京の国立競技場でこの光景を目の当たりにした人たちの感動は、いかばかりであったろうか。

夏季オリンピック開催地

Posted: 3 October 2009