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昔の野球中継はバックネット側からの映像が中心で、バッターは画面で後ろ姿を見せていた。テレビのサイズが小さかったこともあり、今思うと現在の中継と比べて臨場感に欠けていたが、それでも王選手に打順が回ってきたときの緊張感はひときわだった。
手袋もつけず、ヘルメットも耳カバーはなかった
。中指の白い絆創膏以外はきわめてシンプルなバッターボックスでの王選手。長距離打者にもかかわらずグリップエンドを余し、背中を少し曲げて素振りを繰り返す。
そしてピッチャーのモーションに合わせて、右足を高く上げる美しい一本足打法からスイング一閃、と打球が勢いよく高々と弾き出されすぐさまホームランと分かる。カメラは満員の観客席に突き刺さる白球を追った後、淡々とベースを回る王選手に切り替わる。
この光景は通常3日とおかず見られたものだ。スランプが続くことも多かったが、いったん止むとその反動の如くホームラン量産が倍加した。
長嶋が引退し、通算本塁打が700号に達しようとする頃から、王貞治はいよいよ神格化していく。ベーブ・ルース、ハンク・アーロンの記録を抜き去り、868本を放って昭和55年に現役引退。監督に転じて最初の頃は不振をかこつが、ダイエー5年目で初の日本一になり、WBCの舞台で世界一の座を手にする。
生卵を投げつけられる極めつけの屈辱を味わった王監督が、福岡にすっかり根づく。引退式でスタンドに集まった老若男女のダイエーファンが、涙にむせびながら見送るシーンは感動的だった。現役時代にせよ、監督時代にせよ、王さんの初期の低迷と不遇は、その後の栄光をよりドラマチックに輝かせるために、仕組まれた演出であったかのように思える。
人間としても高潔な人格者王貞治は、挫折も含めてその歩んだ人生に非の打ち所のない伝説の人と今やなりつつあるが、まだレジェンドに至らない若き頃に、野球への瑞々しい思いと率直な人柄を垣間見せた『でっかくいこうぜ』という著書がある。昭和44年に報知新聞社から刊行された。
発刊時、すでに7年連続本塁打王を達成し、長嶋とともに押しも押されもしない球界のスーパースターとなっていたものの、なにしろ29歳。編集者が構成した内容には違いなかろうが、長嶋をはじめ巨人軍全盛期を支えたチームメイト群像、野村、張本、江夏などライバルの評価とグラウンド外での交友、荒川コーチとの出会いや早実時代の思い出、一本足打法誕生、夫人との結婚秘話などが、若さにまかせて屈託なく語られている。有力だった阪神から巨人入団への経緯や堀内への鉄拳制裁、バッキーとのトラブルの真相なども。バッティング教室の項では、わからないことがあったらどんどん質問してください、と何と自宅の住所まで公開されている。
引退式で王監督に花束を手渡した生涯のライバル、野村克也のことは兄貴と慕い、とりわけ仲が良かったらしい。大阪遠征のときはひまさえあれば野村宅を訪れ、腹の底から語り合ったという。大リーグへの思いも「巨人が許してくれるなら、喜んででかけるつもりだ。...3年の時間をくれたら2割8分、25ホーマーは打てると思うのだが...」と綴られている。
Posted: 18 November 2010
References: 『王貞治とプロ野球半世紀』(ベースボールマガジン社)
『でっかくいこうぜ』(報知新聞社)
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