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ニグロ・リーグのスターたち

メジャーリーグでは、毎年4月15日は特別な日として扱われる。アフリカ系アメリカンの黒人選手ジャッキー・ロビンソンが、ブルックリン・ドジャースの一員として、1947年のこの日にエベッツ・フィールドに立ち、ジャッキーロビンソンメジャーデビューを果たした。ロビンソンの背番号「42」は、今、メジャーリーグの全球団で永久欠番となっているが、4月15日の試合では「ジャッキー・ロビンソン・デー」として、希望する選手が42番をつけてプレーしたり、チームによっては、全員が一斉にこの番号のユニフォームを着用したりする。アメリカのジャーナリストの多くが、近代野球における初の黒人大リーガーの誕生を、20世紀スポーツシーンで最もインパクトのある出来事と位置づけるほど、その功績は讃えられている。

ジャッキー・ロビンソンは1919年に生まれ、高校時代からスポーツ万能選手として鳴らした。大学を中退して軍隊に入隊後、乗り合わせたバスで黒人用座席に移動することを拒否するなど、人種差別に断固として抗議する人間だった。45年、ブルックリン・ドジャースのゼネラルマネジャー、ブランチ・リッキーが、道徳的理由というより、黒人観客層の拡大をねらった興行的なねらいから、ニグロ・リーグで有望視されていたロビンソンと契約。まずは傘下のファームチームでプレーさせながら、47年のメジャーデビューにこぎ着けた。

リッキーはロビンソンのドジャース入団にあたり、予想される周囲からの激しい侮辱や攻撃に対し、「やり返さないガッツを持ったプレーヤー」となることを望む。当初は球界やチーム内で、ロビンソンの入団に対する反発は強く、相手チームから悪質なスパイクや死球を受けたりする。山のような脅迫状も野球ファンからロビンソンのもとに届いたという。しかし、デビュー戦こそ3打数無安打に終わったものの、リッキーとの約束を守りながら、ロビンソンはやがてシュアなバッティングと走力でチームに貢献し、チームメートやファンからも認められていく。この年から制定された新人王に輝き、後にオールスター出場も果たしている。ロビンソンの成功が嚆矢となり、同じ年の7月にはラリー・ドビー(後に中日に在籍)がメジャーへ。そして、翌年から各球団が次々と黒人選手獲得に乗り出すこととなった。後に轟くウィリー・メイズハンク・アーロンの名声も、ロビンソンの勇気と実績なくしては、あり得なかったと言われている。

ロビンソンを生んだニグロ・リーグは、1920年頃、黒人選手と黒人ファンのために、ルーブ・フォスターらの尽力によって誕生した。アメリカ野球殿堂は、ニグロ・リーグ委員会によってそれまでもニグロ・リーグの選手たちの顕彰を行ってはいたが、2000年の夏から歴史家や研究者の手を借りてニグロ・リーグの記録収集や調査・研究に本格的に着手した。その成果として、ニグロ・リーグで活躍した選手たちの発掘が進み、埋れていた多くの人々の野球殿堂入りが2006年に実現している。

ニグロ・リーグの伝説的なプレーヤーとして、投ではサッチェル・ペイジ、打ではジョシュ・ギブソンが知られる。「最後の4割打者」テッド・ウィリアムズが66年に自分が殿堂入りした際のスピーチで、ニグロ・リーグの名選手の功績を強調したことも手伝って、二人とも70年代に殿堂入りしている。

1906年生まれのサッチェル・ペイジは、ニグロ・リーグでの21年間で12のチームに所属し、鉄腕ぶりを発揮した。ニグロ・リーグのオフには、キューバやカリビアン・リーグに合流。その間、2500試合に登板、勝利数2000、完封試合は300、ノーヒットノーラン55試合、1935年には、29試合連続して登板したという話が伝わっている。メジャーへの道がロビンソンによって開かれた翌年(48年)、ペイジは史上最高齢の新人として、42歳にして念願のメジャーのマウンドを踏んだ。全盛期を過ぎ、結局メジャーでは華々しい成績を残せなかったが、ジョー・ディマジオは、「自分が対戦した中で最も素晴らしく、最も球が速かった」と回顧したことがあるという。

ジョシュ・ギブソンは、「黒いベーブ・ルース」の異名を持ち、強打の捕手として1930年からニグロ・リーグやカリビアン・リーグで活躍した。37年に旧ヤンキースタジアムで580フィート(約177メートル)に達するホームランを放ったと言われているが、これは、ミッキー・マントルの565フィート(約163メートル)の同球場の飛距離記録をはるかに上回る。ギブソンの現役時代のプレーを見た人の中には、ベーブ・ルースを凌ぐパワーヒッターだったと断言する声もあるという。ニグロ・リーグの公式記録が残されていないため、ギブソンの生涯の打撃成績も正確なところが分からないが、通算打率は少なくとも.350以上、ベストは.384。通算本塁打数は800本とも900本とも言われる。またニグロ・リーグの1シーズンで、84本のホームランを打ったこともあるとされる。メジャーでのプレーを切望していたギブソンは、ロビンソンのデビューの3ヶ月前に35歳で亡くなった。

ニグロ・リーグは、ジャッキー・ロビンソン以後、黒人の優秀な選手がメジャーリーグへ相次いで流出し、それに伴って黒人ファンも離れていったことで廃れ、1960年代初期には消滅してしまった。

References: Negro Leagues Baseball Museum
Sports:A foot in the door
The Top Five Players To Have Ever Played in the Negro Leagues

Posted: 17 April 2010