歴史の愛好者は多いが、中でも古代史にロマンをそそられる人が多い。遺跡や発掘品、古文書に接して、はるか古の人々の暮らしに思いを馳せるのは興趣深いが、さらにそこに謎解きの要素が加わると興味をよりかきたてられる。日本人にとって古代史最大のミステリーといえば、邪馬台国と卑弥呼。江戸時代の頃から現代に至るまで人々が関心を寄せてきた。
邪馬台国は九州、畿内のどちらにあった?悩ましい魏志倭人伝の記述。いつの日か決着が訪れるのだろうか。
ことは3世紀後半、西晋の陳寿が編纂した史書『三国志』中の『魏志倭人伝』に始まる。そこに残された2000字余りの記述は、「倭人」と呼ばれる古代日本人の国家体制や生活の様子、社会状況を詳述しており、古代日本の有様を伝えるまとまった記録としては最古のものとされる。とりわけ、記事中の女王・卑弥呼が統治する邪馬台国の存在が脚光を浴びてきた。
本来、邪馬台国と卑弥呼の問題は、3世紀の日本の古代国家成立の過程をはじめとして、この時代の日本を解き明かすための学問的テーマであったのが、いつしかその所在地と卑弥呼の存在そのものが国民的な話題と化し、古代史ブームの起爆剤ともなった。1986年以降の発掘調査によって佐賀県吉野ヶ里遺跡が姿を現した際には、「邪馬台国が見えてきた」と、多くの人々が吉野ヶ里に押し掛けた。
邪馬台国、卑弥呼の解明には、古くは新井白石、本居宣長が取り組み、近代以降も歴史学者、考古学者、地理学者のみならず市井の古代史ファンまでこぞって推理を巡らせてきた。作家でも、松本清張が『邪馬台国』を、高木彬光は『邪馬台国の秘密』、田辺聖子が『小町盛衰抄―歴史散歩私記』を著し、持論を披瀝している。手塚治虫もライフワーク『火の鳥』の中で女王卑弥呼を描いている。
ひときわ異彩を放つアマチュア研究者に宮崎康平がいる。盲目の邪馬台国研究家として知られ、日本テレビのかつての人気番組『知ってるつもり?!』でも紹介されたことがある。
宮崎は大正6年長崎県島原市に生まれ、演劇や文学に傾倒して早稲田大学文学部に進むが、兄の戦死により帰郷、家業を継ぐ。その後、島原鉄道の重役となるが、極度の過労により32歳の時に失明してしまう。幼子を残して妻は失踪し、失意の宮崎は度々自殺を考える。
絶望の淵から宮崎を救ったのが、恩師津田左右吉の講義を通して学生時代から心に去来しつづけてきた邪馬台国と卑弥呼への想いだった。"私自身が生きるために、自己への対決として"邪馬台国追求を開始したと語っている。
盲目の宮崎は、トロイ遺跡を発見したシュリーマンが、ホメロスの叙事詩を史実であるとかたくなに信じて読み込んだ如く、『魏志倭人伝』や記紀(『古事記』と『日本書紀』)を徹底的に渉猟することで古代の謎に迫ろうとした。とはいえ失明しているので、後妻として迎えた和子にそれらを朗読してもらい、テープに録音して繰り返し聞くというやり方。そして独自の解釈を加え、妻と一緒に書物に記された現地に赴いて検分を重ねる作業を20年にも渡って続けた。
宮崎が自身の研究の成果として昭和42年に講談社から刊行した『まぼろしの邪馬台国』は、一瞬のうちにベストセラーとなった。宮崎が同書において、邪馬台国の比定地と結論づけた場所は、生まれ故郷の宮崎県島原市だった。この大胆な推論について、宮崎自身、周囲からご都合主義の謗りを招きかねないと懸念しつつも、考証と追究の結果、故郷の地が卑弥呼の統治した「まぼろしの邪馬台国」の所在地に間違いないと断言している。
Posted: 18 November 2007


