「歴女」と呼ばれる女性の歴史愛好者が増えているという。主に戦国時代の武将が関心の対象で、文献や史料を渉猟し、ゆかりの地を旅したりして楽しむのがオーソドックスな歴女のあり方らしい。最近では大河ドラマ『龍馬伝』の人気もあって、幕末から明治維新の激動期を駆け抜けた群像にも焦点が当てられているようである。
藤沢周平、池波正太郎、山本一力、佐伯泰英等の時代小説や落語人気も相俟って、ここ何年か、歴女のみならず、巷では根強い「江戸ブーム」が続いている。デアゴスティーニ・ジャパンが刊行している『週刊 江戸』マガジンは、江戸の魅力をさまざまな視点で紹介して売れ行き好調だという。
そのブームの背景には、「江戸時代の人々の生き方に学ぼう」
というコンセプトが一端として窺える。貧しくとも皆が助け合い、心豊かに生活し、衛生的で環境にも優しいエコロジー社会を形成していた江戸の世。そうした人々の心根や生活様式を知り、顧みることで、閉塞感の強い現代にあって、精神的にも物理的にも活用できる有意義なヒントを見出そうとしているのではないだろうか。
「江戸歴女」として思い出されるのが、2005年7月に下咽頭がんのため、46歳で亡くなった文筆家の杉浦日向子氏。1980年に吉原を舞台にした『通言室之梅(つうげんむろのうめ)』をコミック誌『ガロ』に発表し、漫画家デビューした。その後、一貫して江戸庶民の暮らしを描き続け、江戸文化の情趣溢れる個性的な作風と緻密な考証で高い評価を獲得していく。
1988年には『風流江戸雀』で文藝春秋漫画賞を受賞するものの、34歳の時に「隠居宣言」し、漫画家を廃業する。「江戸風俗と関わる時間を増やしたい」という理由だったが、その実、血液系の難病に冒され、仕事を減らさざるを得ないやまれぬ事情もあったようである。 ただし隠居といっても、悠々自適で過ごす「本隠居」ではなく、週に3日だけは仕事をする「素(す)隠居」と本人は称していた。
NHKのTV番組『お江戸でござる』の収録以外は決まった予定を入れないで、腕時計も持たず、衣食住のすべてをつましいものに変える代わりに、好きな日本酒と蕎麦だけはたっぷり味わい、自由時間を最大限確保して、その日その日のハプニングを愉しむ生活を送っていたという。それはまさしく、貧乏で時にナマケモノでありながらもさまざまな遊びに興じ、精神的にゆとりある日常が「粋」とされた、江戸時代の長屋に暮らす庶民の生活を手本にしたものであった。
江戸時代では、男は40代で早々に家督を息子に譲り、気ままな隠居生活に入るのが普通だったといわれるが、江戸文化の研究者田中優子法政大学教授は、「隠居人が江戸の実際の文化を作っていった」「それは"真剣な遊び"の精神状態の中にいつもいたから」「低成長時代には"隠居文化"の豊かさが欲しい」と述べている。
生涯現役が尊ばれる現代社会の風潮。まして働き盛りで、家族を養わねばならない多くの現役の労働者たちにとっては、隠居など論外と思えるだろうが、杉浦氏は「晴れ時々隠居」という、一日の中で仕事や家庭から一段降りて、最優先したいものは何かを考える時間を持つ生活を提案していた。そのために、できれば「家族も知らない三畳一間の隠れ家を町中に持つこと」を推奨していたのが面白い。経済情勢厳しき昨今、その余裕もままならないところだが。。。
それにしても、杉浦氏の江戸の芳香漂うイラストと軽妙洒脱に綴られた薀蓄本を一冊でも読めば、江戸風俗に興味そそられ、江戸を好きになることうけあいである。その早過ぎる死が、今更ながら惜しまれてならない。
Posted: 18 September 2010

