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東日本大震災がもたらした東北地方の目を覆うばかりの惨状は、戦後の焼け野原を多くの人に彷彿させた。昭和においては、しかしそのどん底の風景は、20年の後に見事なまでに様相を一変した。首都東京は昭和39年のオリンピックを契機として、世界有数の都市に生まれ変わり、45年に開催された大阪万博では、屹立する「太陽の塔」が日出る国の再興をあらためて世界に印象づけた。
一方で、市街地にあっても牧歌的風景は残り、一画には軒を連ねて建ち並ぶ焦茶色の長屋風木造家屋、色あせ錆付いた広告看板、路地裏の鄙びた商店や駄菓子屋、おばちゃんたちの割烹着、家庭の卓袱台などが、近代の中に違和感なく存在していた。光化学スモッグの如き不気味な姿が顔をのぞかせたこともあった。
光と影、明と暗、新と旧が鮮明に混在していた昭和の世の中だったが、こうしたコントラストは、漫画のヒーローたちにも投影されていたのが思い出される。星飛雄馬、矢吹丈、伊達直人のいずれもが、ストイックな努力で不遇を乗り越え、華やかなスポットライトを浴びる裏で、深刻な葛藤を内面に抱えていた。そして余韻残る切ないエンディングが、少年たちに共感されたものだった。
『アカシアの雨がやむとき』『圭子の夢は夜ひらく』『悲しくてやりきれない』『傷だらけの人生』などなど、不思議なことに明るい未来が展望できた時代だったにも関わらず、歌謡曲でも沈みきった心情をそのままに歌い上げた曲がよくヒットした。分不相応な豊かさや上昇への警戒と反動、あるいは取り残されてしまった焦燥の表現だったろうか。今の時代は閉塞感の蔓延ゆえ、却って若者を中心にポジティブかつ皆を鼓舞する歌が流行る。根暗の心象風景はテーマとされにくい。
昭和はまた、モノクロからカラーへと「色づく」時代でもあった。日本初の総天然色映画『カルメン故郷に帰る』が製作されたのは昭和26年。写真もテレビも40年代半ばを過ぎると、カラーが白黒にすっかり取って代わった。高度経済成長とともに、昭和の情景に彩りが加わっていった。
転じて平成の世は、アナログからデジタルへの進展が著しい。今年7月で地上アナログ放送は終了し、昭和の発展の象徴だった東京タワーは電波塔としての役目を終える。
はるか隔たってしまった昭和時代だが、今度の震災で人々に漲る助け合いの精神は、少し前に懐旧された「昭和の心」と通ずるものがある。かつて「東洋の奇跡」と海外から羨望された復興が、被災地に再現されることを願うばかりだ。
Posted: 23 April 2011

