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宮沢賢治の『雨ニモマケズ』

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』はよく知られているように、彼の死後発見された手帳の中に、メモ書きのようにしたためられていたものが、後に世に出たものである。上手とはいえない字で書き留められていて、何箇所か修正の跡も見られ、一部表記については誤記か、そのまま読むべきかの論争が学者の間で起こったりしている。

宮沢賢治よっぽどの賢治ファンでなければ全編を諳んじることはできないだろうが、小学校の教科書等で取り上げられていたので、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」という冒頭部分や最後の「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」、途中の「東ニ病気ノコドモアレバ...」のくだりなど断片的ながら日本人なら誰にもなじみが深い詩だ。しかしこの詩を先入観を取り去って、まったく初めて読んだと仮定したら、最初は誰か身近な人の人物評を綴っているようにとらえてしまいそうである。

曰く「欲ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ イツモシヅカニワラツテイル」だの「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」。ところが最後に「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と締めくくられ、それまでの記述が自分の理想とする人物像や生き方を記していたことがわかるという、「どんでんがえし」的な妙味がある。

さらに、その理想像の描写がかなり具体的である。「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ」等々。一連の形容を通してイメージされるのは、体は頑健だが口数は少ない典型的な東北人タイプの男。人のためなら東奔西走どころか北や南にまで出かけていく行動力を持ちつつ、一方で「サムサノナツハオロオロアルキ」「ミンナニデクノボートヨバレ」る「裸の大将山下清風」の愚鈍な面もある。

賢治は熱心な法華経の信者であったが、この詩には農業指導者・教師として故郷花巻の農民のために尽くしぬいた彼の人生そのままに、「無私、利他の心、自己犠牲の精神」が投影されている。

梅原猛はかつて外国で行った講演の中で、「宮沢賢治が日本の最高の文学者である」と述べたというが、1933年に37歳で亡くなるまで科学者、教育者、宗教者としても才気煥発だった彼が、早世していなければ他にどれほどの業績を世に刻んだことだろうか。

●宮沢賢治ゆかりの地/岩手県花巻市桜町周辺

 

Posted: 6 September 2009