コペルニクスが唱えた地動説を、ローマ教皇庁の迫害を受けながらも強固に支持した人物としてガリレオ・ガリレイが知られるが、地動説の正当性を最初に科学的に証明したのが、ドイツの数学者で天文学者のヨハネス・ケプラーという人物である。
ケプラーは1571年12月27日、ドイツのヴァイル・デア・シュタットに生まれた。学生時代、コペルニクスの惑星運行理論を学び感銘を受ける。1600年にプラハへ赴いたケプラーは、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエの助手となって研究をともにする。ブラーエは、神聖ローマ帝国のルドルフ2世をパトロンとしながら、膨大な天体観測を肉眼で続けていた。ブラーエのもとでケプラーは主に火星の軌道を調査していたが、ブラーエの死後、その膨大な観測記録を引き継ぐ。やがて、ガリレオの研究にも触れその知遇を得る。その頃、ガリレオは自ら発明した望遠鏡を使って、月のクレーターや木星の衛星、金星の表面等数々の天体観測を行っていた。ケプラーはガリレオの望遠鏡を入手し、独自に改良を加えた「ケプラー式望遠鏡」を開発し観測を行う。
そしてブラーエの残した観測記録と自らの観測結果を元に、ケプラーは1609年に2つの法則を発表する。すなわち、惑星はその当時考えられていた正円ではなく、太陽をひとつの焦点としながら楕円を描いて公転するというもの。次に、惑星の速さは惑星と太陽の距離が近いときは速く、遠いときは遅くなるというものだった。さらに1619年には、惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例するという第3法則を発表する。
この「ケプラーの法則」は、彼の生前は広く流布するに至らなかったが、やがてイギリスの数学者アイザック・ニュートンの万有引力の法則発見に多大な貢献を果たすこととなった。ニュートンによって、地動説は理論的に完成をみた。
天文学以外に光学や数学の分野でも多くの業績を残した天才学者ケプラーだが、宇宙の創世時期について計算を行い、「紀元前4977年4月27日」と算出したという。これはビッグ・バン理論を提唱する現代の科学者の計算と比較すると、「約137億年の差異」がある。
Reference:http://www.history.com/this-day-in-history.do?action=VideoArticle&id=52581
Posted: 10 February 2010


