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昭和の歌|オイルショック以後

日本が生んだ国民的大歌手美空ひばりは、平成元年6月24日に52歳で亡くなった。その2年前の昭和62年夏に、石原裕次郎がやはり52歳で死去。戦後日本を明るく照らし続けたふたりの映画界、歌謡界の大スターの死に、昭和という時代の終焉が実感された。

ひばりの才能をいち早く見出したのは母親で、8才で地元の舞台歌手としてデビューさせた。笠置シヅ子の物真似をする天才少女として話題になり、演技力も認められて映画や舞台にも次々出演し、人々が娯楽に飢えていた敗戦後の混乱期に、幼くしてあっという間にスターダムを駆け上がる。

美空ひばりの歌の中で、ベストヒットとなっているのが『柔』。「勝つと思うな思えば負けよ」といきなり高らかに歌い上げるこの歌は、日本テレビの柔道ドラマの主題歌として昭和39年に発表され、翌年のレコード大賞を獲得した。時代は折しも、東海道新幹線が開通、東京オリンピックが盛大に開催されるなど、「東洋の奇跡」と呼ばれた戦後日本の高度経済成長期の真っ只中だった。『柔』のヒットは、ストイックな努力と勤勉を積み重ねながら、夢を追い求めることが尊ばれた時代を象徴していたかのようである。

ひばりは、歌では歌謡曲以外にポップスやシャンソン、ジャズなど幅広いジャンルをこなし、時代劇においても、殺陣の動きは天下一品と絶賛され、芸能では天才ぶりを発揮するが、大スターの宿命というべきネガティブな評判も昭和の時代を通してついて回る。

デビュー直後には、「おとなの物真似をする気味の悪い子ども」と一部で酷評される。また、山口組組長がプロダクションの役員として後ろ盾につき、さらに実弟が度重なる犯罪行為で逮捕されるなど、暴力団関係者との近しい関係が批判の的となった。

こうした不祥事のせいで、昭和48年からNHKとの断絶状態が数年にわたって続き、紅白歌合戦にも出演しなくなる。家族をかばい、かたくなな姿勢を崩さなかったが、旧知のプロデューサーから、特別出演として7年ぶりの紅白出場を持ちかけられた時には、感極まって号泣したという。プライドを守りつつもこの期間、相当に心を痛め続けていた違いない。このストレスが、後に病魔を呼び込む遠因になったのかもしれない。

売り上げ数では、『柔』に次ぐヒット曲となった『川の流れのように』。昭和63年12月にレコーディングされ、平成の世の到来直後に発売された。「知らず知らず 歩いて来た 細く長いこの道」と『柔』とは対照的に、静かな歌いだしで、人生の旅路をじっくり噛みしめるように振り返る歌詞が、美しい旋律と相まって情感豊かに伝わってくる。昭和の激動期に人々を魅了しながら、波乱に富んだ人生を送った大歌手の、最後の締めくくりとして歌われた曲として聴くと、なおいっそう心に響く。

30 December 2008

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