3年程前、北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの無事救出を願って、アメリカのノエル・ポール・ストゥーキーという歌手が、『Song for Megumi』という自作の歌をめぐみさんの両親に捧げ、普段気丈な横田夫妻がストゥーキー氏の歌声を聴いて涙を拭っている様子をテレビで見た。ストゥーキー氏は1960年代、一世を風靡したフォーク・グループ 「ピーター・ポール&マリー」のメンバーとして知られるが、「プロテスト精神」の健在ぶりを見る思いがその時した。
第2次世界大戦と朝鮮戦争を経て東西冷戦時代の渦中、ピーター・ポール&マリーが活躍した60年代のアメリカは、
経済的には豊かに成長しながら、社会・政治的に内外で大きな課題に直面していた。65年からベトナム戦争に本格的に介入し泥沼状態に陥る一方、国内では、黒人やマイノリティーに対する人種差別撤廃・人権尊重を掲げた公民権運動が、マルコムXやキング牧師の先導によって最高潮に達する。
それに伴なう事件や騒動が、この時期アメリカには頻発しているが、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンだったカシアス・クレイ(後にモハメド・アリ)の徴兵拒否事件(66年)もその一例として挙げられる。
クレイは「俺はベトコンに恨みはない。彼らは俺のことをニガーとは呼ばないから」と言って兵役を拒否する。そのことで無敗のチャンピオン、クレイは起訴され、連邦大陪審で有罪の判決を受け、ボクシングコミッションからタイトルを剥奪されてしまう。しかしクレイの戦争と人種差別への抵抗は、次第に多くの人々の共感と賛意を呼ぶようになり、合衆国最高裁判所は71年、クレイに無罪判決を下す。
こうした時代、平和の希求と社会的弱者に対する支援、変革を、歌によって訴えようというムーブメントがアメリカに涌き起こっていた。「プロテストソング」と呼ばれる歌が、一大潮流となってもてはやされた。ピーター・ヤーロウ、ノエル・ポール・ストゥーキー、マリー・トラヴァース(09年9月逝去)によって61年に結成されたピーター・ポール&マリー(PPM)も反戦を託し、社会にはびこる不公正を糾弾するべく、ギターの音色をバックに哀調を帯びながらメッセージ性の強いフォークソングを次々にヒットさせた。
『レモンツリー』でデビュー後、プロテストソングの元祖ピート・シーガーの曲をカバーした『天使のハンマー』が大ヒットする。同じくシーガーの作になる『花はどこへ行った』や、若きボブ・ディランの曲『風に吹かれて』、『500マイルも離れて』などが代表曲として、今では郷愁と共に耳に蘇ってくる。PPMは、シーガーやジョーン・バエズなどとともにアイコンとなって反戦運動や公民権運動を後押しし、学生や若者の社会参加を促すこととなった。プロテストソングは日本にも伝播し、カレッジフォークや反戦フォークをもたらした。
ピーター・ヤーロウが友人のレナード・リプトンと作った『パフ』(63年)もPPMのヒット曲として有名である。少年と龍の交流を詩にした寓話的な歌で、子供向けでありながら大人にも愛唱された。アメリカではこの歌に、ドラッグソングいう誤った風評が根強くつきまとったというが、60年代アメリカはヒッピー文化が勃興した時期でもあった。
Posted: 10 April 2010
ピーター・ポール&マリーヒット曲
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