電撃的な真珠湾攻撃によって戦端が開かれた太平洋戦争は、緒戦こそ日本軍が破竹の勢いで進撃を続けたものの、昭和17年6月のミッドウェー海戦を転換点として、戦局は一気に米軍に傾く。中国本土、南方諸島、東アジアと戦線を拡大し過ぎた日本軍は、戦力・物量に勝る連合軍の前に次第に各戦地で圧倒されはじめる。惨禍は広がり、兵力の著しい不足が日本軍に深刻化する。
東條英機内閣は、特に下級将校クラスの兵員を増強すべく、それまで高等教育諸学校の学生に認めていた徴兵猶予を取り止める(理系学生を除く)いわゆる「学徒出陣」を決定した。
それら学徒の従軍をもって国家総力戦の到来を国民に喚起し、一致団結を促すプロパガンダとして、昭和18年10月21日、明治神宮外苑競技場において、「出陣学徒壮行会」が挙行された。壮行会を主催した文部省製作の記録フィルムが、今も時折終戦記念日前後にテレビで流されることがある。
関東近県を中心に集められた2万5千にも及ぶ学徒たちが、学帽を被り、詰襟、ゲートルに身を包み銃剣を携え、降りしきる激しい秋雨の中、隊列を組んで場内を行進している。そして学生の親族や女子学生たち5万人が、恐らく胸張り裂けそうな思いで、ずぶぬれになりながら観客席からその姿を追っている。
この時、学徒の行進に合わせて演奏された勇壮果敢な曲が、『抜刀隊(陸軍分列行進曲)』である。抜刀隊とは、西南戦争時、西郷隆盛率いる薩摩軍に対峙すべく、官軍が臨時に編成した元士族警察部隊に由来する。西南戦争の田原坂の戦いでは、共に剣術に秀でた薩摩精鋭部隊と抜刀隊が凄まじい死闘を繰り広げたが、軍歌『抜刀隊』は、官軍臨時部隊の勇猛な戦いを称えた歌で、この歌を編曲した行進曲『陸軍分列行進曲』がフランス人シャルル・ルルーによって明治期に作られた。
繰り返し流れる『抜刀隊』をバックに学徒たちが行進している映像を見るにつけ、最新兵器を備えた連合軍の前に劣勢明らかで、もはや精神力を頼りの玉砕覚悟で戦地に赴かざるを得なかった悲壮感が滲み出ているように映る。
行進終了後、東條首相の訓示、学生代表の答辞と続く。最後に全員で絶唱する『海行かば』が場内に轟く。「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ」。
『抜刀隊』とはまったく対照をなすように、ゆったりと荘重でまるで讃美歌のように美しい旋律。詩は国家、生命の悠久と儚さを想起させる。天皇への忠誠を誓う万葉集の中の大伴家持の長歌から詞は採られ、信時潔が昭和12年に作曲した。
昨今、右翼街宣車が鳴り響かせる以外には、軍歌や戦時歌謡曲を耳にすることはあまりなくなった。昭和40年代くらいまでは、戦中派サラリーマンが宴会の余興で唄ったり、子供たちも、『月月火水木金金』などメロディーが軽快なものを口ずさんだりしていたものだ。
戦意高揚を目的として作られ、若人を戦場へ駆り立てた数々の軍歌も、今は反戦の音色と聞こえてならない。
10 October 2009
軍歌、戦時歌謡の名曲
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