リチャードとカレンの兄妹デュオ、カーペンターズの人気は70年代凄かった。街角やラジオでカーペンターズの曲がしょっちゅう流れていた。今、ベストアルバムに収録されたどの曲を聴いても、何度も耳にしたなじみのある曲ばかり。日本公演も、72年から2年毎、3回行われている。
カレンが結婚したこともあって、さすがに80年代に入って活動が陰り始めたが、絶頂期からそれほど年月を隔てていない83年2月に突然、カレンの死が報じられた時は驚いた。享年32歳。新聞一般紙でも1面で取り上げられていた憶えがある。そしてその死が、今でいう拒食症を主因としたものであったという記事がさらに衝撃的だった。この病気は認知されていない時代だったから、なぜ食べたくても食べられないということが起こるのか、よく理解できなかった。カレン・カーペンターの死が、摂食障害をその後世間に知らしめる契機となった。
死後、カレンの自己の体重管理との肉体的にも精神的にも厳しい闘いが、リチャードと音楽活動を始めて早々の頃にすでに始まっていたことが明らかにされている。彼女は、「ウォーター・ダイエット」というもっぱら水で空腹感を満たすという原始的な方法で5、6キロの減量をティーンエイジの時代に行っていた。
70年夏に、『遥かなる影』のヒットでスターダムへの切符を手にした時、カレンは20歳で身長163センチ、体重54キロだった。この体重を、活躍の初期には維持していたが、心中でカレンは、体重増加に絶えずナーバスになっていたという。それが拒食症の発症を導いたと見られている。75年にラスベガス公演で倒れ、その年の日本公演がキャンセルになった時、カレンの体重は40キロそこそこになっていた。「パパラッチ」の活動は、この当時まだ穏やかだったのであろうか、優しい歌声と表情によって世界中を魅了していた陰で、カレンがこのような闘病を続けていたことはファンにもほとんど知れなかったが、今となってはそれがかえって痛ましい。
カーペンターズの数々のヒットナンバーの中でもベストといえる曲が『イエスタデイ・ワンス・モア』(73年リリース)。歌詞は、過去の思い出に浸る「後ろ向き」な内容だが、この頃アメリカでは、50年代、60年代のミュージカルが盛んにリバイバルされていた。ラジオでは、懐かしいオールディーズが繰り返し流された。こうした人々の「ノスタルジーブーム」にリチャードが着想を得て、親友のジョン・ベティスとともに作ったのが『イエスタデイ・ワンス・モア』だった。
この曲も含めて、カーペンターズの楽曲は穏やかでゆったりとしたものが多く、またカレンの発声が明瞭で、英語のフレーズがそれなりに聞き取れる。思わず原詞や訳詞をひもといてみたい気にかられる。74年の日本公演で、カレンは『シング』を日本語で歌っているが、その日本語も見事に流暢である。
Posted: 20 March 2010
カーペンターズベスト
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