powered by
60年安保から50年目の今年、テレビや雑誌で盛んに安保回顧の特集が行われている。
日米安全保障条約は、1951年のサンフランシスコ講和条約締結時、平和を願う日本が軍事力を放棄する代わりに、国土防衛の役割をアメリカの軍備に委ねることとして、当時の吉田茂首相が単独で署名した旧安保条約に端を発する。岸内閣はその改定にあたり、日本側の軍事的コミットメントをより積極化した内容で新安保条約を締結しようとした。
しかし、時は終戦からいまだ14、5年。日本が再び軍国主義の道を歩み、東西冷戦下、大国の狭間で戦争の惨禍に巻き込まれる危険を予感して、左翼系組織、知識人のみならず、多くの学生、一般市民が反対運動に参加した。そしてそれは巨大なうねりとなって、国中を席巻した。
自民党政権は、こうした市井の反対派の声を無視して衆議院で新安保条約を強行採決する。これをきっかけとして、国民の怒りは極まる。1960年(昭和35)6月15日に11万人にも及ぶデモ隊と警官隊が国会前で激しく衝突する中、東大生樺美智子が圧死するという悲劇が生じ、地響きはさらに頂点に達する。3日後の抗議デモでは、何と33万人が国会を包囲した。追い詰められた岸首相は弟佐藤栄作とともに自決をも覚悟した瞬間があったと伝えられる。
結局、安保は国会空転の状況下で自然成立した。岸内閣は混乱の責任を取って総辞職し、代わって池田政権が誕生するが、安保反対の喧騒は潮が引くかの様にあっという間に終息し、日本は高度経済成長への歩を足早に進めていく。
このとき、敗北感と徒労感に打ちひしがれた学生たちがこぞって口ずさんだ歌が、『アカシアの雨がやむとき』だったという。「アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい...」 水木かおるが書いたこの歌詞は、破れた恋のやるせなさを情景化したものだが、悲しげなトランペットの音色をバックに響く西田佐知子のけだるい歌声が、学生たちの虚脱ぶりや挫折と確かに重なる。
一方安保の対手であるアメリカでは、60年代、アフリカ系黒人の地位向上を目指した公民権運動が激化する。1963年8月28日に行われた「ワシントン大行進」には20万人が参加し、キング牧師の"I have a dream"で始まる伝説的な演説が生まれた。合わせて、60年代半ばからアメリカが本格的に介入し始めたベトナム戦争への反対運動が尖鋭化する。反戦を訴えるメッセージ性の強いフォークソングが、ピート・シーガー、ピーター・ポール&マリーやジョーン・バエズらによって歌われた。
このムーブメントは日本にも伝播し、学生デモや反戦フォーク集会が60年代後半盛り上がりを見せる。70年安保闘争を軸として、前後には東大紛争や成田闘争、赤軍派による過激化した暴力闘争が展開される。しかしそれらもまた、時代の進行とともに沈下していく。
今や学生運動はすっかり下火となり、東アジアの不安定な政治情勢に日本が揺らぐ昨今、安保の存在は大方の国民の支持を得るところとなっている。してみると、かつての安保闘争にどのような意義があったのか。単に自己陶酔的な幻想に過ぎなかったのか。その評価は左翼運動や民主主義の歴史の中で、多面的に考察される必要があるだろうが、「安保の時代」の激烈なエネルギーの源泉として、戦後の荒廃から高度成長に突き進む途上、前向きな将来展望と変化への期待が当時の日本人に横溢していたことと見ると、何とも複雑な郷愁と憧憬がそこに伴われてくる。
Posted: 11 October 2010
References:全共闘グラフィティ(新泉社)
安保闘争 - Wikipedia
歴史の瞬間に立って-60年安保闘争の記録 - 旗旗
安保闘争期の流行歌
本文に戻る
安保闘争期の流行歌をリストアップしています。タイトルをクリックすると動画、関連情報が表示されます。リクエストをいただければリストに追加します。

