Home »  Movie  » 

小津安二郎と監督作品リスト

小津安二郎物語

小津安二郎の略年譜と監督全54作品をタイムラインにマッピングしています。タイムラインはドラッグまたはマウスのスクロールホイールで左右に動かすことができます。← →(最下段の水色部分にカーソルを当ててスクロールすれば、早く動かすことができます)。タイムライン上のリンクをクリックすると関連情報が表示されます。

Video

溝口健二、黒澤明と並び、海外で最も著名な日本人映画監督、小津安二郎。イギリスの映画雑誌『Sight & Sound』が、2002年に世界中の250人の批評家や監督たちの投票によって選出した映画史上傑作ランキングの第5位に、小津の『東京物語』が選ばれている。

大正12年に松竹蒲田撮影所に入社した小津は、助監督を経験後、昭和2年に『懺悔の刃』で監督デビューを果たす。小津作品中、唯一の時代劇である。以後、松竹の新進監督として作品を重ね、昭和4年には年間6作、昭和5年には7作を発表している。その中には、撮影期間わずか4日足らずの突貫で仕上げたものもあったという。昭和初期は映画が庶民の手軽かつ最大の娯楽で、各映画会社も収益を上げようと競って作品量産に努めた状況がしのばれる。

小津の監督生活は昭和2年から37年まで36年間にわたるが、この間、時代や世相の激変は当然のことながら、映画文化にも多様な変化がもたらされている。弁士や字幕つきのサイレント映画が終焉を迎え、昭和6年に日本初のトーキー映画『マダムと女房』が五所平之助によって作られた。小津自身の初のトーキー作品は、昭和11年の『一人息子』である。また、カラー映画の日本初登場は、昭和26年の木下恵介監督の『カルメン故郷に帰る』に遡るが、小津は昭和33年の『彼岸花』で最初のカラー作品を製作している。こうしてみると、小津の映画界に訪れた変革への追随には、少なからぬタイムラグがあり、小津の保守的な一面が垣間見える。

一方で、小津は『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』のように当時のエリート知識階級を主人公にしたり、東京・山の手の豪奢な邸宅とその家族模様を描いたり、戦前でありながらアメリカ的文化を象徴する小道具や衣装、習俗を多用したりしてそのモダニズム性を発揮していた。

小津作品は、初期の時代にはペーソスとギャクに溢れた喜劇・コメディが多かったが、次第に「家族」を一貫したテーマに据え、親子の情愛や思いやり、相克と葛藤、夫婦の倦怠、再生を描く「ホームドラマ」的作品が主流になってくる。哀感や無常観がそこはかとなく醸し出されるものが多いが、『東京暮色』の様に、救いようのない破滅の結末もある。

小津は、映画監督として円熟に達した頃、紫綬褒章や芸術院賞を受賞し、映画監督協会の理事長を務めるなど日本映画界の重鎮となっていたが、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の勃興や、家族ものを扱うテレビドラマの登場とそれに伴なう映画産業の斜陽もあって、その作風を古臭さく退屈なものとして否定的に捉える評価も現れてくる。

そうした中、日本に長年拠点を置いて日本映画の発掘に尽力していた映画評論家ドナルド・リチーが松竹と掛け合い、小津の死後の1963年に小津作品5本をベルリン国際映画祭で紹介したことによって、小津映画の素晴らしさがヨーロッパを起点として海外に知れることとなった。それまで一部映画人しか知らなかった「Yasujiro OZU」の名前と作品が、多くの外国人に認識・鑑賞され、研究対象となり、他国の映画人に影響を及ぼすことになった。

特に、ローアングルでカメラを固定しつつ登場人物を動くに任せて映し出し、またフェードイン・アウトによらず、突然の切り替えで場面を転換する独特の撮影技法と、登場人物の対話の絶妙なリアリティーが絶賛されたという。

小津は多くの作品において、脚本を野田高梧と共にオリジナルで作成したが、最初にストーリーの軸となる会話やセリフを綴りながら物語を完結させ、その後にそれぞれの台詞を登場人物に割り当てていたという。そして『東京物語』の老夫婦を典型として、主要人物が発することばは至極寡黙な場合がある。そのとき、映画を観る者は彼らの心情の機微を、自己の体験とも照らし合わせて汲み取ることを要求される。逆に、市井のサラリーマンが会社や上司に対する不満や悲哀を雄弁に訴え、現代社会に置き換えても違和感なく、身につまされる情景にも遭遇する。

『晩春』『麦秋』『秋刀魚の味』等の、娘の行末を慮って親が縁談を画策する話など、自由恋愛全盛の現代にあってはドラマの主題ともなり得ない。海外のOZUファンにしても、「古き良き(哀しき)」日本的エキゾチシズムより、劇中の人物間で交わされる会話とそれに基づくストーリー展開が、時間や空間を問わず、普遍的な家族や社会の姿を描いて生き生きと迫ってくるところに、魅力と共感を抱いているようである。「ダイアログ」こそ小津映画の命といっていい。

生涯独身だった小津は、最愛の母親あさゑを昭和37年に亡くし、その翌年に自らもガンで60歳の誕生日の日に亡くなった。親子の価値観や家族観のいっそうの隔絶、高齢社会進展に伴なう介護問題、経済不況と若者の閉塞感、キャリア女性の増加・非婚化と少子化。社会の著しい変化と深刻な課題に満ちた今の日本に小津がメガホンを取るなら、家族の有り様の不変と変貌をどのように演出することか。

Posted: 20 July 2010

References: 『小津安二郎映画読本―〈東京〉そして〈家族〉』Midnight Eye interview: Donald Richie