映画監督の巨匠、黒澤明は1910年に生まれ98年に88歳で没した。今年はその生誕100年にあたる。
太平洋戦争の最中、1943年に『姿三四郎』で監督デビューを果たした黒澤は、約50年にわたる監督生活で30余作品を残している。
それらは、スピルバーグ、コッポラ、ルーカス、スコセッシ、イーストウッドなど世界的映画監督たちの畏敬を受け、映画作法の点でも多大の影響を及ぼしている。サムライ映画『七人の侍』や『用心棒』のあまりの面白さに触発され、『荒野の七人』、『荒野の用心棒』というリメイク版西部劇が作られたこともよく知られた話である。
まだ少壮の黒澤を一躍世界のひのき舞台に導いた作品が、1950年に製作された『羅生門』。平安時代を舞台に、ひとりの侍の死を巡り白洲の場に引き出された4人の証言が、語り手の感情に流されるまま、奇妙に矛盾をはらんで現出する。真実は錯綜し、観る者を混乱と困惑に引きずり込む。黒澤作品にしてはシンプルなセットで低予算・短時間で製作された。公開後、国内での評判は芳しくなかったが、翌年のヴェネチア映画祭に出品され、グランプリを獲得する。神秘性と意表に満ちたプロットに加え、光と陰の巧みな描出、墨汁を混ぜて表現した土砂降りの雨など、芸術性豊かな撮影技法がヴェネチアで絶賛された。グランプリ受賞のニュースは、敗戦後の日本に光明を灯すとともに、日本映画が初めて海外で広く知られる契機となった。『羅生門』は、未だアジア映画の古典的名作として、欧米ではもっとも有名な作品のひとつとされているという。
この映画で主役の盗賊「多襄丸」を演じたのが、50年代から60年代半ばまで、黒澤映画を華やかかつ剛毅に彩った三船敏郎だった。監督、俳優として世界に通用する実力とカリスマ性をそれぞれが備えていたのは相違ないところだが、ふたつの才能が時を同じくして合体したことが、日本映画界にも両人にも幸運なことであったといえる。
黒澤は、三船との共作が最後となった65年製作の『赤ひげ』まで、ほぼ毎年のように作品を発表し続けていたが、以後寡作となり、不遇をかこつ。
完璧主義がもたらす周囲との軋轢により、日米合作映画『トラ・トラ・トラ』で監督降板を余儀なくされ、71年には自殺未遂事件を起こした。『どですかでん』の興行不振が要因ともいわれる。
『デルス・ウザーラ』で復活し、続いて挑んだ80年製作の『影武者』の撮影では、勝新太郎が、独断で自分のカメラを現場にセットしたことに黒澤が激怒し、あっという間に勝を主役にもかかわらずキャストからおろしてしまった。天皇黒澤ならではの勝更迭劇だったが、スポーツ新聞で連日大騒ぎになっていたことを思い出す。
Posted: 2 June 2010
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